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元気!駅前コムハウス!

関東鉄道竜ヶ崎線の竜ヶ崎駅の前

商店街の入り口をちょっと行くとなにやら賑やかな建物がある

竜ヶ崎駅前コムハウス

何だか不思議な佇まい、、、、、、、

※この取材は昨年に行われたものです、コロナ感染症対策、取材陣の事前の体調記録および取材前後消毒など行って実施しておます。あらかじめご了承ください。

”龍ケ崎の1丁目1番地を作ろう!”

コムハウスの大きなガラス戸を開けると賑やかな声が聞こえてきた
パワフルな女性陣が迎える

「龍ケ崎の一丁目一番地と思っているの!」

そう発声されたのは、代表の諸岡佳子さんである

飛び込んできたライターにも快く、取材を引き受けてくださった

ここはコムハウス何でもやってます!

・駅前の街のインフォメーション

・健康的なクラブ活動

・勉強会・アート活動・フリーマーケット

・助け合い

設立は2011年

理事長の諸岡佳子さん、設立には様々な思いがあった

「この商店街の道は室町時代ごろからあるんですよ、歴史的には龍ケ崎は伊達藩の飛び地の時もあったんです」

同じく商店街にある観音様も相当古いもので一貫性がある

「この通りにはたくさん職人さんがいた、様々な商売がここ龍ケ崎で成立していた」

「ここで財を成した方、優秀な人財を多く輩出した町なんですよ」

龍ケ崎の商店街は意外と長い!大きな商家であったと見える建物も多く見える。

「常磐線から4キロも離れているこの商店街。一説では明治政府が常磐線で水戸と東京を最短でつなぐ時に、政府は龍ケ崎を蛇行する予算がなかったのだろう。しかし龍ケ崎にいた旦那衆が協力してこの街まで4キロの鉄道を引っ張った。それが今の竜ヶ崎線!国鉄の駅が少し遠くても、この街を絶対に廃れさせない!と結束した旦那衆の心いきを考えると計り知れない。そういった人々の思いを絶対にむげにしたくない

歴史の解釈は色々あるのだろうが、諸岡さんの信念がわかる

「時代の流れからか商店街のシャッターが増えてきた、寂しい状況にいてもたってもいられなかった。商店街が活気があった頃は近隣の地域、稲敷、河内、我孫子、利根町からも週末は龍ケ崎だとみんな買い物にきていた。龍ケ崎の商店街は単に商売だけでなく多くの人が出会い関わり会うコミュニティだったんだと思うんです。

確かに、商店街ときくだけでワクワクするような気持ちになる

便利な量販店とはまた違った魅力があるような気がする

「時代の変化で商売には限界があるし、お店じゃなくたって、コミュニティとしてきちんと成立したら、街の活気に繋がると思うんです。ここも昔はレコード屋さんだったんですよ。

なるほど!!

すごいアイデアですね!!!

諸岡さんと話していたら

またまた元気な女性陣ゾクゾクと訪れた

「皆、ここが大好き。暇があればいつでもくるよ!みんないい仲間だから!」

「今日はピーナッツを持ってきた!」

「私はチョコレートをおすそ分け!」

 

カゴに手早く持ってきた落花生を並べて

値札をつけて、落花生売り場の完成!ピーナツの文字もカワイイ!

「本当にいいものはみなさんにおすそ分けしたいじゃない!

売り上げを団体の費用に当てているそうです

のきさきに野菜売り場ができたと思ったら

壁側には何やら楽しげなBOXが!

「ここはボックスショップ、簡単に言うとフリーマーケットみたいなものだけど。色々な人がいつも面白いものを持ってきてくれますよ。」

みなさんコムハウスに協力的だ!

様々な教室や勉強会も開催している

 

驚いたことに、、

みなさん70歳や80歳!中には90以上の方も!

歳をとったら教養(きょうよう)よりも今日用(キョウヨウ)!今日用事がある!ってことが大切!ここ(コムハウス)に行こうと思ったら元気になれるし!」

「この商店街の閉まったシャッターに絵を描いたらどうかな?今閉まっているお店ももっと楽しいアイデアで人が集う場所にできるかもしれない!豊かな妄想力で何でもやるんですよ!

理事長の諸岡佳子さん曰く

「私たちはボランティア精神を基本とし、自分たちの住む龍ケ崎をはじめとする地域に誇りをもち、自立した生活を送ることが我々のあり方と考えています。もっと地域のネットワークも広げて行きたい。」

今日も駅前のコムハウスでは

リーダーシップある諸岡女史とコムハウスに集うパワフルはみなさんがが

今日も元気に活動している。

次は活動をぜひ取材したい

今回の取材で学びもあった

人間は何歳になっても自主自立し主体的かつ能動的に人生を楽しむことが

どれほど豊かなことなのか

そう感じさせてくれるコムハウスであった
つづく。。。。。。

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