コンテンツへスキップ

女化を見つめる赤いレンガの家

今回は県道48号線沿い女化(おなばけ)という緑豊かな静かな場所にある

赤いレンガの建物の話である

女化(おなばけ)という地名の由来がまた非常に興味深いのだ

その昔は荒涼とした草原地帯であり

1878年(明治11年)に和歌山県出身の士族である津田出により、大規模農場経営の第七農場として開発が始まった

現在は広大な農地に落花生をはじめ様々な作物が植わっている

女化(おなばけ)の地名の由来について江戸時代末期に赤松宗旦(あかまつそうたん)が著した利根川中・下流域の地誌「利根川図志」にこう書かれていた

下総国河内郡根本村の百姓忠七はある時猟人に射たれそうになった狐を助けた。後日この狐は女人に姿をかえ、忠七に恩を返しにきたが、そのまま忠七の妻となり、3人の子をもうけた。8年の歳月が流れ、狐は泣く泣く根本が原の古塚に戻らなければならなかったが、その際、「みどり子の母はと問はば女化の原になくなく臥と答えよ」と詠んだという。3人の子どものうち末の竹松の孫はのちに常州岡見氏に仕え、栗林下総守義長と号したという。地名はこの伝承にちなむと伝える。

狐が女性に化けた「オナバケ」なのである

8年も言わずして、8年目に「私、実はキツネなんです」

旦那からすると相当キツイ

浮気でも不倫でもない、キツネだったのだ、、、人類史上類を見ない

そんな由緒のある土地にある興味深い建物を今回はご覧いただこう

県道の脇にある未舗装の道路を抜けると

木々に囲まれた中に

突然現れる赤いレンガの建物

相当大きいように見える

見ての通り人がもう住んでいる気配はないが

ありし日は壮観な建物だったようにうかがえる

 

ライターと比較しても大きさがうかがえる

ちなみにライターは霊長類の中では高重量である(そうデブである)

市民の会が保存の為に尽力されているようで

立派な柵と立ち看板があり駐車場もある

立ち看板の情報は実に興味深いものであった

 

その看板には誰が建てたものなのかが詳しく書いてあった

詳細は画像を拡大してください

竹内綱氏は吉田茂氏のお父様

えええええええ、そんな元総理大臣も関係していた建物とは、、、でもなぜ?

周辺の美しい農地は茨城無煙炭鉱株式会社の付属農場として経営され

竹内綱氏の子息である明太郎氏が炭鉱で働く労働者に供給する農産物を生産した

ご親族が病に伏していた時はこの女化のレンガの邸宅まで吉田氏がお見舞いにきたこともあるそうだ(別出)

そんな実業家の邸宅(別荘なのか?)ならその当時でも総レンガ建築も納得がいく

牛久駅より馬車で資材は運んだ

半端ない、、この土地にこのお屋敷を建てるのも時代背景を考えると簡単ではないだろう

日本の近代国家の礎を切り開いた、そんな人々の胃袋を支えていた女化の農場

おそるべし

下記に勉強になる情報満載の市民の会のHP記載しています

今でも赤いレンガのお屋敷を囲む地域は広大な農地にたくさんの農産物が植えられ

四季折々の姿を見せてくれる

その風光明媚の中には

この土地の豊かさに目をつけ切り開いた先人の方々のエナジーと

歴史を紐解けば奥ゆきのある赤いレンガのお屋敷がその事実を語り続けてくれている

 

保存の為に尽力してくださっている市民の会のHP

興味深い情報もたくさんです

https://tatemono-hozon.net/%E4%BF%9D%E5%AD%98%E6%B4%BB%E5%8B%95/%E6%97%A7%E7%AB%B9%E5%86%85%E8%BE%B2%E5%A0%B4%E8%A5%BF%E6%B4%8B%E9%A4%A8/

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です